川の淵

川の淵

 現在は、学校にプールがあり、川に行く子どもたちが少なくなってきていますが、それ以前は、夏はよく川で泳いだり、川遊びをしていました。当時、子どもたちが楽しんだ淵も現在は大きく変わってきています。
 かつての淵を川下から紹介します。
まず、福井淵は、小川、吉田の子どもたちが遊んだ場所です。矢本淵は細長い淵で、泳ぐのに最適な場所だったらしい。カンソ淵は、深い淵でしたが、気味が悪くてあまり近よらなかったと伝えられています。次にハネ淵というのがあって、大水の時、水をハネることから名付けられたとのこと。魚信さんの下の淵は、小さな子どもがよく遊びました。生協さんの下あたりにサンマエ淵というのがありました。
早月谷と五名谷の合流点から五名谷を登ると、ジャブチ、中湯淵、ドンド淵と続きます。また早月谷を登ると松の淵というのがありました。ここに大きな松の木があったので付けられた名前らしい。おせん淵は、護岸工事の時大岩を削ったため、淵が浅くなり、その後の増水などにより、現在はかなり変わってきています。昔は大変深い淵で、そばにあった櫨の木に登り、木の上から飛び込んだとのこと。しばらく以前には、小学校児童の保護者などが協力して堰を作り、保護者が交代で見張りをし、吉田の児童等がここ一か所で泳ぐようにしていました。
伏羊川にはカマノ淵というのがあります。


おせん淵橋から見た「おせん淵」

 国道424号の拡幅工事で、当時、雑木等で道路から見えなかったジャブチやドンド淵が道路からよく見えるようになっています。ジャブチは泳げる場所が結構広く、両岸には大きな岩がありました。右岸のなだらかな岩は水面からの高さが1~3mぐらいでここからよく飛び込んで遊んでいました。左岸の岩は4~5mと高く、水面にせり出すようになっていて元気な子どもたちが飛び込んでいました。この左岸の岩の下流の方へいくらか行くとかつて生石温泉があり、天然の岩を活用した温泉の広い浴室がありました。
ドンド淵はあまり広くなく、特に岩で囲まれた一畳余りのところは3mぐらいの深さがありました。底まで潜り、狭い岩の間を泳ぎ抜けると滝の裏側に出られました。



       国道424号から見た「ドンド淵」

ジャブチとドンド淵の間にある中湯淵の堰に用水路の取水口がありました。この用水路は吉田7班や6班、地蔵さんあたりを通り、小川の田への引き水となっていて、きれいなたくさんの水が流れていました。また、この中湯では、硫黄の臭いがする冷泉が湧き出ていて、当時「たまごゆ」と呼ばれていました。あせもなど皮膚病によく効くと言われ汲んで持ち帰る人も多かったようです。
 おせん淵の「おせん」の由来については、吉田区誌の中で鳥居勝氏が青田の古老の話を紹介しています。どの時代の頃かは定かではありませんが、青田に赤松氏の居城である赤松城があり、赤松氏は鳥屋城の城主の家来でした。あるとき、和歌山の方から大軍が押し寄せ、鳥屋城をいとも簡単に落城させてしまいました。赤松城にたてこもり迎え撃つつもりでいた赤松氏もこの状況に勝ち目なしと悟り、軍使をたて和戦の交渉に入りました。この交渉はうまくまとまり、村境のこのあたりで双方代表が起請分を手渡し和戦が成立しました。それ以来、ここが和戦場所と呼ばれ、「和戦淵」となり、いつの間にか「おせん淵」に変わっていったとのことです。

2020年04月09日