② 生石口橋(おいしぐちはし) 昭和30(1955)年2月竣工
生石口橋は、早月谷川を跨(また)ぎ、生石方面青田地区に通じています。おせん淵のすぐ下流にあるトラス構造の橋です。トラス構造の橋は最近少なくなってきた感がありますが、近くでは小川橋、宮橋、稲荷橋、金屋橋がこの構造の橋です。
吉田区誌などによると、明治になり、大八車の普及にともない、平坦部の道路の改修が行なわれ、吉田地内も川端の道が広げられてきたようです。高野街道である早月道もこの頃改修されました。青田にあった高垣酒造店までの道路も改修され、「ひきょう坂橋」がつくられました。ちょうど大正4(1915)年の大正天皇御大典祝賀の最中に完成されたため、渡り初めは「萬(万)歳、萬歳」の行列が続き、「萬(万)歳橋」と名付けられたと言われています。
そして、昭和23(1948)年7月26日、後日「23水」と呼ばれる大水害が起き、吉田、早月、伏羊、長谷川などが甚大な被害を受けました。このとき、萬歳橋は、吉田橋などとともに流されてしまいました。
昭和25、6年頃、旧高野街道早月道は、早月谷川にそって改修され、萬歳橋は現在地に移され「生石口橋」と改められました。
ところが、昭和28年7月18日またもや大水害が起き、今度は有田川が氾濫するなど甚大な被害が発生しました。早月谷川も「23水」で川床が上り、その分水嵩は高くなっていて、このとき復興して間もない生石口橋、比曽原橋が流失しました。
昭和30年、現在の橋が架けられました。