変わる川の流れ

 吉田区は五名谷川と早月谷川の合流点で、在所の中央を流れ、伏羊谷川も注いでいます。

 

上流での大量の雨が水害をもたらし、河川の流れの変化もしばしば起きました。特に明治22年の洪水は未曽有の大水害で、現在の新伏羊橋北詰下流の下新田地内に建てられた、昌盛小学校が流失しています。当時、学較規模が小さかったとは言え、学校と名のつく以上、かなりの面積だっただろうと想像されます。この学校より上手の元鳥屋城石油あたりまでは、地番のある広い竹薮が続いていたそうで、昭和23年の水害(23水)までは、少しの竹薮が残っていて、その名残があったようですが、現在ではあとかたもなく、想像すら出来ない状態となっています。現在の新伏羊橋上手あたりに、元々川床だったのかも知れないが草原があって、馬や牛の養生場(馬や牛の手綱を長く伸ばし、自由に歩き廻り、草を食むことが出来る、ミニ放牧地)であったらしい。それ以前は馬場で、競馬を楽しんだと伝えられています。現在、川の流れは北寄りに流れ、その分川原畑が広くなっています。


 一方、下新田地内では反対に、川が南寄りに流れを変え、矢本地内の通称ワサギ地域を突き破り、福井淵に真直ぐ突き当るようになったとのことです。本来矢本は川の南に位置しますが、現在、川北に矢本地の番地となっているところがあるとのことです。


2019年02月01日