防災 ②-1 28水(昭和28年7月18日)災害の状況

 昭和23年8月26・27日の大水害(「23水」)は、吉田地区に大きな被害をもたらしましたが、県、村の支援のもと区民の懸命の努力により、昭和26年9月には小野県知事を迎えての吉田橋渡り初め式が挙行されるなど、着々と復興が進められてきました。

 ところが、この「23水」から5年後の昭和28年7月18日、またもや大水害に見舞われます。「和歌山縣災害史」(1963:38:P136~P227)、金屋町誌(1973:昭48:下巻P75~P116)、吉田区誌(1987:昭和62)などには、災害の状況や復旧・復興に向けた様子が詳しく書かれています。


 昭和28年7月17日夜から翌18日朝にかけ、県北部中部を中心に梅雨前線による豪雨が襲い、未曾有の被害をもたらしました。のちに、「28水」「7.18水害」と呼ばれるようになったこの大水害は、山間部で500㍉を超える雨が18日未明を中心に短時間で降り、ここを水源とした有田川、日高川、貴志川などの流域では俄(にわ)かの出水で大洪水となりました。山地では次々と山津波が起き、平地では堤防があちこちで破壊され、土石、流木を交えた濁水は一瞬にして人、家畜、家屋、耕地を一呑みにし、各地に壊滅的な災害をもたらしました。有田川の増水は10m(日高川は7m)(18日午前10時に粟生では最高16.4m)に達し、田殿、宮原、保田などの堤防は決壊し、保田、宮原、箕島は一帯が泥の海と化しました。金屋橋は午前6時40分に流失し、交通・通信・電気は完全に断絶、鳥屋城村とその周辺は孤立状態となりました。御霊村徳田は流失し、上流の安諦、八幡、城山、岩倉の各村では沿岸の家屋がほとんど流失、橋も流木と濁流で流失し、有田川両岸の各村間の交通、食料その他生活必需物質の補給路は遮断されました。旧金屋町で被害が最も激甚で壊滅的だったのは川口、宇井苔で、丹生、糸野、金屋、吉原、歓喜寺(筏立)、松原などの有田川沿いの集落は浸水し、家屋の流失や田畑の埋没・崩壊など傷跡を残しました。早月谷川などの支流においても流域集落に被害が出、吉田地区においても、23水で川床が上がってきていて水嵩は高くなり、23水で流失をまぬがれた家が1軒流されました。幸いにも、住人は別の場所に住居を移していたようです。なお、この時、復興して間もない比曽原橋、生石橋は流失してしまいます。


 県内の被害状況は、死者615人(23水は15)、行方不明431人(同5)、住家流失3,896戸(同46)、全半壊4,887戸(同29)などと記録され、被災者は県民の約1/4にあたる25万人以上に達しました。
 

 旧有田郡内の被害(昭28.8.5有田地方事務所発表)については、死者行方不明者は、鳥屋城村では0ですが、上流の岩倉31人(うち川口で27人)、城山10、五村17、八幡20、安諦39、下流では御霊51、田殿25、宮原129、保田29、箕島町3。流失家屋の多かったのは、八幡村260戸、次いで宮原251、御霊157、田殿151、石垣142という状況でした。


 6~7月にかけ、有田川、日高川流域では40日間にわたって長雨があり、500~600㍉の雨が降っていました。そこに、この7月17、18日、500㍉を超える降雨があり、午前0~4時にはその80%が集中するという状況でした。その後も降雨があり、17~19日で700~800㍉が降ったとされています。

2023年10月16日