抓津姫橋 ~橋編 ③~

③ 抓津姫橋(つまつひめばし) 昭和48(1973)年10月竣工


五名谷川と早月谷川の合流地点のすぐ上流にあり、五名谷川を跨ぎ青田地区と通じています。昭和20(1945)年頃、青田の西向こう地区に農協が移され、岡本医院と並んで青田の郵便局から道路を新設、抓津姫橋が架設されました。一方、この橋の上流に中湯堰(「川の淵」を参照ください)があり、そこでは昔から冷泉が湧き出し、皮膚病に効き、汗疹(あせも)の妙薬ともされていました。これを生かそうと、ボーリングがいくつか試みられたりしましたが温泉を掘り当てることはできず、昭和28(1953)年頃、岡本医院と有田鉄道が共同で、湧き出ている冷泉を沸かし「生石温泉」として開業しました。青田に向かってこの橋を渡ってすぐ左の上流に五名谷川沿いに、大きな岩を取り込んだ浴槽がある温泉の建物がつくられました。ところが、後に赤字経営となり、姿を消してしまいました。土橋の抓津姫橋は昭和48年、現在の鉄骨の橋に生まれ変わりました。この橋の名前の由来については、筆者自身よく分かっていません。情報を集めています。なお、余談ですが、抓津姫(ツマツヒメ)は、日本神話に登場する樹木の女神です。ウィキペディアWikipediaなどによると、『日本書紀』では父神・素盞嗚尊(スサノオノミコト:イザナギ・イザナミの子で、天照大神の弟)の命により、兄神・五十猛命(イタケルノミコト:伊太祁曽神社などの祭神)、姉神・大屋津姫命(オオヤツヒメ)とともに、全国の山々に木種を撒き、紀伊国(現在の和歌山県)に戻って住んだとされます。全国の多くの神社で祀られ、兄神・五十猛命と共に木の文化を司るとされ、林業や建築業の女神として信仰を集めている、とのことです。さらに、ツマツヒメの「ツマ」は建物を築くために製材した材木を意味する、ともあります。

2021年03月19日